「修行な日々」を始めたワケ

私は、2005年12月まで、南青山にオフィスをかまえ、海外ブランドのPR業務を請け負うプレス・オフィスを営んでいました。
1993年にアパレル会社の駐在としてミラノに渡り(1年で事務所はクローズされ、フリーとなる)、99年に日本に戻るまで、ミラノでのメーカー・リサーチやバイング、また日本のファッション誌の仕事でコレクション(ファッション・ショー)取材をしたり、ミラノの街の情報を毎月送ったり(小学館「Domani」に5年ほど)、フリーランスでも仕事に困ることはなく、毎日を楽しんでいました。世界を席巻していたファッションの都ミラノの中心スピーガ通りに住んでいた私は、毎日チャラチャラ買い物ばかりして暮らしていたのです。
そんな楽しい日々の中「なんかヨーロッパはもう終わりだわ」と感じた私は(実のない生活に飽きただけ?)、当時ミラノで友人と立ち上げたブランドの、日本での展開に向けてパートナーが見つかったのを機に、自分の意志で日本に戻ったのでした。特になんの目的もなく日本に戻って来たわけですが、仕事のパートナーとなる会社から「ウチで持ってるほかのブランドもお願いしますから、大石さん、プレス・オフィスやりませんか?」と誘われ、あっという間に、私は銀座にオフィスをかまえていたのです。

久々の日本での、しかも新しい仕事は(飽きっぽいんですね、基本的に)楽しいものでした。毎日、ファッション誌のスタイリストや編集者がオフィスを訪れ、お預かりしているブランドのお洋服が編集ページに沢山出るようになると手応えも感じます。相変わらず、年に2回はヨーロッパに出張し、休みは大好きな海のあるハワイやバリで長く休暇を取ります。「私は理想的な暮らしを実現したわ!」と思っていました。

ただ、日本に戻る決心をする前、イタリア人との仕事上の常識の違いに、疲労困憊してしまったこともあり、「日本に戻ったら、心を癒さねば」と思い、紹介してもらったヒーラーのところに通い始めました。ヒーリングの効果は素晴らしく、親との関係が癒されたのと同時に、銀座でプレス・オフィスをオープンすることになったのでした。それ以来、精神世界系の本を山のように読み、いろいろなヒーリング、セミナー、リーディングなどを、心の赴くままに受けまくりました。

スピリチュアルな修行は成果を上げている感じでしたが(特に問題は起こらず、すべてが順調な感じ)、理想的な生活を手に入れたはずの私は、オフィスを始めて4、5年したら、だんだん毎日をつまらないと感じ始めていました。「この仕事は50歳までにはやめたい。それまでに人を育てなくては。私はやりたいことを探さなくては」と思うようになりました。でも、思うようにアシスタントは育たず(いけなかったのは私です)、やりたいことも思いつかなかったので、結局ズルズルとプレス・オフィスを続けていました。

2005年秋の体調不良は、仕事を続けることができないほどのものでした。顔にはアトピー性皮膚炎のような痒みと痛みを伴う赤い湿疹が出て、身体には蕁麻疹。浮腫みもひどく、午後になると左足は朝の倍くらいに膨れ上がり、パンパンで気分が悪くなるほどでした。また毎日夕方近くなると熱が出てだるいのですが、計ってみると37度くらい。「37度でこんなに辛いなんて・・・・」と思って、朝体温を計ると35度3分で、知らない内にかなりの低体温になっていました。私の平熱は36度5分くらいあったので、これを知った時は急激に不安になりました。また心臓の動悸も始まり、特に夜は動悸がひどくて、ほとんど眠れないような日が続きました。目の疲れもひどく、元々軽い緑内障がありましたが、これも夕方になると黒い虫のようなものがいっぱい視界を飛び交って、失明するのではないかと恐怖を感じていました。
あまりに一度にいろんな症状が出たので、まずは一度アレルギー検査を受けたことがある病院の皮膚科に行ったところ、先生が私の顔の疾患を見て「もしかしたら膠原病かもしれませんね。検査をしましょう。」とおっしゃいました。その日すぐに「膠原病を克服する」という分厚い本を買って読んだら、「私にはすべての症状が当てはまっている。しかもかなり重症だ。これは危ないかも・・・」と思いました。膠原病は原因不明の免疫疾患で、場合によっては死ぬこともあります。それを知った時、私は「とにかく、今やっていることすべてを手放して、自分の身体と向き合おう。修行して生まれ変わる以外に助かる道はない!」と決心したのです。
決めたら即実行です!その頃は南青山にオフィスを借りていたので、すぐに不動産屋に「あと3ヶ月で出て行く」と連絡し、PR業務の契約をしていたクライアントには「どうも重篤な病気にかかっているようなので、多分長期入院をします。申し訳ないけど辞めさせて下さい。」と連絡しました(まだ、膠原病かどうか検査結果を待っている間でした)。クライアントも素晴らしい会社ばかりで、本当に仕事はうまくいっていたのですが、この際仕方ありません。仕事をやめるーということは収入が無くなるーということでしたが、その時の私には、そんなことを不安に思う暇はありませんでした。(今考えると、我ながら「無謀なやっちゃ〜!」と思いますけど・・・・・。でも結果的にそれが良かったんです!)
ところが、検査の結果が出るまでの1週間で、オフィス・クローズの手配をし終わったら、私の体調は劇的に変わったのです。あれだけひどかった心臓の動悸と蕁麻疹が無くなったのです。夕方に出ていた熱も毎日ではなくなりました。黒い虫が飛び交っていた目は、「緑内障性眼底出血」で、これは眼科で目薬をもらって治りました。もちろん、検査の結果はシロでした。私は膠原病ではありませんでした。
さて、そこで私は思いました。「私が決心したことは正しいんだ!やっぱり『今のままではいけない。変わりなさい』という身体からのメッセージだったんだ!」と確信したのです。その時にも「な〜んだ。治ったら仕事やめなくていいじゃん。今ならすべてを再開できる!」とはこれっぽっちも思わなかったんです(笑)。だって、これだけ身体が反応したら、もう身体の声に従わないわけにいきませんから。
かくして、人からさんざん「いいですね〜。優雅にお暮らしですね〜。」と言われて、「私って幸せもの〜!」と浮かれて暮らしていた大石敦子は、「修行な日々」に突入したわけです。

「修行」といっても、昔の修験道のような荒行をするわけではありません。
私が「修行」と呼んでいるのは、自分と向き合うこと。
今まで、あまりに「自分」を見ないで、何十年も外ばかり見て生きてきてしまったので、すぐには自分のコアにはたどり着けません。それで、まずは、「今ここにある自分の身体」と向き合うことから始めようと思ったのです。
実は、私、こう見えて努力するのが大好きです。目標を決めたら大抵のことは実現させます。何故なら、目標達成に向かってしっかり努力するからです。私にとって「努力」というのは全然辛いことではなく、ワクワクする楽しいことなんです。だって、日々の努力は毎日結果を見せてくれますから。ちょっとばかりのトラブルなんかは、日々のスパイス。「さ〜て、どう解決したろかい!」とついワクワクしちゃいます(マゾい??)。
努力するのが好きなんですから、それはもう「修行」も大好きです!!
ただ「修行」の方は、今までの自分を完璧に否定して手放すことをさせられたり(「させられる」と書きましたが、あくまで自分でやったことです)思いっきり絶望させられたり、涙なくしてはできない日々だったりしますが、それをした後は、まさに天と地がひっくり返るパラダイム・シフト!!その爽快感たるや、今までの人生の達成感とは全然違う喜びなんです。
自分がなんなのかーを自分と向き合うことで探求している日々。どうも、自分のことは自分が一番わからないようで。一番わからないことだから、探求するのが楽しくてたまらない毎日になってしまいました。